材木座海岸の東側、逗子マリーナの前あたりに、干潮時にのみ現れる幻の港「和賀江島(わかえじま)」。
鎌倉時代は1232年(貞永元年)に築かれたもので、日本最古の築港遺跡として、文化庁の史跡に登録されています。
2013年5月26日(日)。大潮の干潮で潮がかなり引き、海岸にはタイドプールができるほど。逗子マリーナの前に和賀江島が現れました。
数百メートルに渡る玉石で築かれた港。伊豆から石を運び、ひと月あまりで完成したようです。
現在はそのほとんどが水没し、一部が顔を出している程度。大潮の干潮で島が大きく露出したこの日は、磯遊びを楽しむ家族連れで賑わっていました。シッタカやトコブシ、タコ、ときに古銭や陶器片が見つかることもあるのだとか。
島の先端には舟を係留するための石柱が。基礎がコンクリートで固められていたので最近のものでしょうか。
大正13年3月の銘がある石碑には、下記のような記述が。材木座という名の由来についても触れられています。
和賀とは今の材木座の古い名前であり、この場所が昔は、いかだ木(材木)が集散する港だったことから、やがて現在の名(材木座)がつけられるようになった。和賀江島は、その和賀の港の出入り口に築かれた堤を言い、今から694年前の貞永元年(1232年)に、勧進聖人往阿弥陀仏の申請を受け、平盛綱の協力を得て、7月15日に起工し、8月9日に完成させたものである。
■参考サイト
[和賀江島|鎌倉市 ]
和賀江島(わかえじま)は鎌倉時代に東国の貿易の拠点として開発された、日本最古の築港遺跡です。
鎌倉時代には極楽寺(鎌倉市極楽寺)により管理され、日本各地や遙か宋(現在の中国)の国との貿易で大いににぎわっていました。しかし、遠浅で船荷の遠浅で船荷の揚げおろしに不便だったばかりか、難破する船も多かったため、勧進上人往阿弥陀仏が北条泰時の協力を得て、伊豆石などで島を築きました。
江戸時代までは港として利用されていましたが、度重なる震災や老朽化により、現在では、その面影として石のがれきを残すのみとなっています。
[和賀江嶋(わかえのしま)|文化庁国指定文化財データベース ]
由比ヶ浜の東端にある。貞永元年(1232)にできた築港の跡で、玉石を積んだ埠頭が海中に突き出ている。現存最古の港湾施設である。
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