稲村ヶ崎ボート遭難の碑:七里ガ浜沖逗子開成ボート事故から104年


相模湾を見渡す景勝地として、鎌倉きっての人気を誇る「稲村ヶ崎公園」。
園内には、1910年(明治43年)1月23日に起きた「七里ガ浜沖ボート遭難事故」を偲ぶ、寄り添う兄弟の像が建っています。

鎌倉稲村ガ崎公園

海へ向かい建つ「ボート遭難の碑」。

鎌倉稲村ガ崎の逗子開成中学校ボート遭難の碑 鎌倉稲村ガ崎の逗子開成中学校ボート遭難の碑

像の台座には、「ボート遭難の碑」建立への想いが刻まれています。

鎌倉稲村ガ崎の逗子開成中学校ボート遭難の碑

「ボート遭難の碑」碑文

みぞれまじりの氷雨が降りしきる この七里ヶ浜の沖合いで ボート箱根号に乗った逗子開成中学校の生徒ら12人が遭難 転覆したのは 1910年(明治43年)1月23日のひるさがりのことでした
前途有望な少年達のこの悲劇的な最期は 当時世間をさわがせました……が、その遺体が発見されるにおよんで さらに世の人々を感動させたのは 彼らの死にのぞんだ時の人間愛でした……
友は友をかばい合い 兄は弟をその小脇にしっかりと抱きかかえたままの姿で収容されたからなのです
死にのぞんでも なお友を愛し はらからをいつくしむ その友愛と犠牲の精神は 生きとし生けるものの理想の姿ではないでしょうか
この像は「真白き富士の嶺」の歌詩とともに 永久にその美しく尊い人間愛の精神を賞賛するために建立したものです
1964年5月17日 逗子開成交友会・鎌倉開成会

逗子開成中学校・高等学校で2013年に行なわれた事故追悼会のスピーチでは。

七里ガ浜ボート遭難事故追悼会|逗子開成中学校・高等学校

学校所有のボートに無断で乗り出した本校生徒11名と小学生1名の12名は江ノ島に向かいます。
ボートの定員は7名でしたので、十分な浮力はなかったでしょう。当時も今日と同じように穏やかな日だったと思いますが、冬の海の突風に煽られて七里ケ浜沖で転覆したようです。
着衣も着物でしたので思うように身動きも取れなかったでしょう。12名は全員命を落としてしまいました。特に徳田家は4名の兄弟を一度に失ってしまいました。
本校校庭で行われた大法要では、鎌倉女学校(現鎌倉女学院)の生徒が追悼の歌『真白き富士の根』を歌い、多くの人の涙を誘いました。

事故直後の追悼大法会で鎌倉女学校の生徒が発表した鎮魂詩『真白き富士の嶺』の歌詞も記されています。

鎌倉稲村ガ崎の逗子開成中学校ボート遭難の碑の富士の嶺 鎌倉稲村ガ崎の逗子開成中学校ボート遭難の碑の富士の嶺

『真白き富士の嶺』

真白き富士の嶺 緑の江の島 仰ぎ見るも 今は涙
歸らぬ十二の雄々しきみたまに 捧げまつる 胸と心
ボートは沈みぬ 千尋の海原 風も浪も小さき腕に
力も尽き果て 呼ぶ名は父母 恨みは深し 七里ヶ浜辺

兄が弟をかばい、弟が兄を慕う姿をモチーフに、家族や友人への友愛精神の象徴として建つ「ボート遭難の碑」。兄の視線の向こうには、江ノ島をはじめ、晴れた日には富士山を眺めることができます。

鎌倉稲村ガ崎の逗子開成中学校ボート遭難の碑と江ノ島と海

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